大判例

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函館地方裁判所 昭和48年(わ)2号 判決 1973年3月07日

被告人 竹野俊弥

大一五・七・五生 代議士秘書

小野寺脩郎

大五・二・四生 函館新聞編集発行人

主文

被告人竹野俊弥を懲役五月に、被告人小野寺脩郎を懲役三月に各処する。

ただし、被告人両名に対し、この裁判確定の日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人小野寺脩郎から金一〇万円を追徴する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人竹野俊弥は、昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員総選挙に際し、北海道第三区から立候補した佐藤孝行の選挙運動者であつたもの、

被告人小野寺脩郎は、「函館新聞」を編集発行しているものであるが、

第一、被告人竹野は、同候補者に当選を得しめる目的をもつて、立候補届出前である同年八月一〇日ころ、函館市松風町一番一四号被告人小野寺方において、同被告人に対し、右新聞紙上に同候補者のため有利な内容の記事を掲載されたい旨依頼し、その報酬として、同被告人に対し、同月一五日ころ、同市大手町五番一〇号日魯ビル四階佐藤孝行事務所において、現金五万円を、同月二八日ころ、前記被告人小野寺方において、現金五万円をそれぞれ供与し、もつて、立候補届出前の選挙運動をなし、

第二、被告人小野寺は、同月一〇日ころ、前記同被告人方において、被告人竹野から、前記候補者に当選を得しめる目的のもとに、右新聞紙上に同候補者のため有利な内容の記事を掲載されたい旨依頼され、その報酬として供与されるものであることを知りながら、同被告人から、同月一五日ころ、前記佐藤孝行事務所において、現金五万円を、同月二八日ころ、前記被告人小野寺方において、現金五万円をそれぞれ受け取つた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(訴因と異なる認定をした理由)

検察官は、被告人竹野に対しては別紙第一の被告人竹野に対する公訴事実記載のとおりの事実を、被告人小野寺に対しては、別紙第二の被告人小野寺に対する公訴事実記載のとおりの事実をそれぞれ主張し、被告人竹野につき公職選挙法第一四八条の二第一項(以下単に条文だけを記載する場合は公職選挙法を意味する。)、第二二三条の二第一項の新聞紙、雑誌の不法利用の罪および第一二九条、第二三九条第一号の事前運動の罪が、被告人小野寺につき第一四八条の二第二項、第二二三条の二第一項の新聞紙、雑誌の不法利用の罪がそれぞれ成立すると主張しているところ、当裁判所は、本件の「函館新聞」は第一四八条の二にいう「新聞紙」に該当せず、判示のとおり、被告人竹野が、被告人小野寺に対し、右新聞紙上に佐藤候補に有利な記事を掲載することを依頼して現金を供与した点に関して、被告人竹野については第二二一条第一項第一号の供与の罪および右事前運動の罪が、被告人小野寺については第二二一条第一項第四号の受供与の罪がそれぞれ成立すると判断したので、以下、(一)第一四八条の二に規定する「新聞紙」の意義、「函館新聞」が右の「新聞紙」に該当しないと認めた理由および(二)被告人両名につき右のとおりの犯罪事実を認定した理由につき、当裁判所の見解を示すこととする。

(一)  公職選挙法は、「日本国憲法の精神に則り」、衆議院議員、参議院議員等の選挙が「選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的」(第一条)として制定されたものであり、この目的を達成し、選挙の自由、公正および公明を保持するため、選挙運動に関する各種の制限を設けているのであるが、他方、社会の公器としての新聞紙および雑誌については、憲法の保障する表現の自由を前提とし、新聞紙および雑誌がその本来の使命である報道および評論によつて国民に正しい批判の資料を提供することを期待し、その報道および評論の自由を尊重して、一般の選挙運動の制限に対する特例を設けている(第一四八条)のである。しかし、新聞紙および雑誌が社会の公器として大きな宣伝力と影響力を有する反面、これを不法に利用する意図のもとに買収が行なわれた場合には、選挙の自由、公正および公明を著しく害することもまた明らかであり、それ故、昭和二七年法律第三〇七号による公職選挙法の一部改正によつて、一般の買収罪に対する刑罰加重規定として新たに第一四八条の二、第二二三条の二が設けられ、その法定刑も同法違反の全犯罪の中でも特に重くされているのである。従つて、第一四八条に規定する「新聞紙」と第一四八条の二のそれとは同一に解釈すべきであり、また、ここにいう「新聞紙」の意義を決するにあたつては、右のとおり、「新聞紙」が社会の公器としての本質から、同法上の各種の制限を受けず、選挙に関する報道および評論を掲載する自由を保障されているという点ばかりではなく、その反面として、ひとたびそれが不法に利用された場合には厳しい責任を負わされるという、いわば諸刃の刃の意味を持つことをも考慮して検討されなければならない。

ところで、「新聞紙」の意義については、公職選挙法はもちろん他の法令にもこれを明確に規定したものはなく、また、第一四八条第三項に掲げる要件も、選挙運動期間中および選挙当日は選挙に関する報道および評論の公正が右以外の期間よりも一段と強く要請されるため、同条の適用を受ける新聞紙、雑誌の要件を特に厳格に制限する趣旨で設けられたものであるから、これをもつて「新聞紙」の要件とすることはできない。結局、「新聞紙」の意義については、これが一般の文書図画と区別され、これに対し報道および評論の掲載等の自由が保障された前記のような立法趣旨を念頭におき、社会通念によつて判断しなければならない。一般に、「新聞紙」であるか否かを判断する基準として(1)不特定又は多数の者に頒布されることを目的とすること、(2)特定の人又は団体により、一定の題号を用い、比較的短い間隔をおき、号を追つて定期的に刊行されるものであること、(3)報道および評論を主たる内容とするものであること、(4)印刷に付されているものであること、(5)有償頒布が常態であることというような要件が指摘されている(東京高裁昭和三五年一〇月三一日判決高裁刑事判例集一三巻追録一頁参照)。しかしながら、これらの要件は「新聞紙」であるか否かを判断する一応の基準となるものではあるが、これらの要件を全て完全に満たしていない限り「新聞紙」に該当しないとすることは、厳格に過ぎ、かえつて、前記立法趣旨および社会通念に反するものといわなければならず、結局のところは、具体的な事案に即し、右に掲げた要件の有無を考慮しつつ、個々の発行の態様、掲載事項、体裁、発行の時期等をも総合的に判断して、それが第一四八条に定める自由を保障され、かつ、第一四八条の二、第二二三条の二に定める厳しい責任を負わされるにふさわしい社会の公器としての実体を備えているか否かによつて、「新聞紙」といえるか否かを決すべきものと解される。

前掲各証拠によれば、昭和二八年ころ、常野知一郎が函館新聞社を設立して日刊紙「函館新聞」の発行を始め、被告人小野寺は同社の編集局長として編集に携わつていたが、昭和三二年ころ、同社は倒産して「函館新聞」の発行を止めたこと、被告人小野寺は、その後、個人で取材、編集して、右日刊紙当時の題号をそのまま使用し、号数もこれを継続して順を追つて「函館新聞」を発行してきたこと、被告人小野寺が個人で「函館新聞」を発行するようになつてから、同紙は、昭和三八年ころまでは年六、七回位、その後は年三回位発行されていたが、発行の期日は全く不定期であり、一回も発行されない年もあつたこと(検察官主張のごとく、「函館新聞」が旬刊であることを認めるべき証拠は存在しない。)、昭和四七年度においては、被告人竹野の依頼によつて九月一日付第四、〇一〇号の「佐藤孝行特集号」を発行した後に、一〇月五日付の第四、〇一一号および一一月一〇日付の第四、〇一二号を発行しているが、右第四、〇一二号は、右「佐藤孝行特集号」を出したため、他の自民党立候補予定者側から不公平である旨の苦情を受け、右の立候補予定者達に関する記事を掲載して発行したものであり、必ずしも被告人小野寺の意思で発行したものではないこと、被告人小野寺が日刊紙当時の題号をそのまま使用して不定期ながらも「函館新聞」を発行してきた動機は、「函館新聞」という題号の新聞をつぶしたくないという愛着のようなものからであること、「函館新聞」は毎回約一千部が印刷されて発行されるが、これに要する経費等は、広告欄に広告を掲載した函館市役所、同市水道局、同市立病院、一般の民間会社等の広告料によつてまかなわれていること、そして、発行された約一千部の「函館新聞」は、これらの広告主に配付されるほか、函館市内の大手町、松風町界隈の商店などに購読料を取ることなく無料で配付されていること、被告人小野寺は、広告の掲載につき、あらかじめ広告主の承諾を見込んで広告を掲載し、発行後において、自ら広告主から広告料を徴収して回るのであり、広告主においても、他のいわゆる「豆新聞」(日本新聞協会に属していない新聞)に対するのと同様、「函館新聞」に対しても自分のところの広告が掲載されている場合には、年二、三回位に限り任意の額を払つていること、「函館新聞」の内容は、函館市政を中心とした報道および評論であるが、公職の選挙を目前にした時期に発行されることが多く、ほとんどの場合、紙面の大部分に特定の個人に関する特別な記事を掲載していること、その紙面の大きさは、ブランケツト版二頁または四頁と一定であつて、社説欄を設けていることなど一般のいわゆる商業新聞と同じ体裁をなしていることが認められる。

以上の認定事実によれば、「函館新聞」は、前記要件のうち、(1)の不特定又は多数の者に頒布することを目的としていること、(3)の報道および評論を主たる内容としていることおよび(4)の印刷に付されていることの各要件を満たしていることが明らかである。しかしながら、前記認定事実によれば、(2)の要件については、「函館新聞」は、日刊紙「函館新聞」と同一性がないとはいえ、「特定の人により、一定の題号を用い、号を追つて刊行されるもの」といいうるが、「比較的短い間隔をおき、定期的に刊行されるもの」とはいえないし、また(5)の要件については、広告主に対する関係では有償であるといえても、その他の不特定多数人に対する関係では無償配布であり、「有償頒布が常態である」とはいい難いのである。

そこで、「新聞紙」の要件として、前記のように「比較的短かい間隔をおき、定期的に刊行されるものであること」および「有償頒布が常態であること」があげられる理由について考えてみると、それは、このような発行形態をとることによつて、新聞紙の各号が有機的に連関し、記事の内容についての責任も保たれ、社会の公器としての実体を備え得ることおよび新聞紙の発行に要する費用を特定の個人に仰ぐような場合には、主観的な宣伝文書であることが多く、記事の客観性は確保できなくなるという点にあるものと解され、結局は、公職選挙法上の各種の制限から「新聞紙」を解放し、報道および評論の自由を保障したことに鑑み、社会の公器としての客観性を担保するために右のような要件が必要とされているものといえる。従つて、右の「比較的短い間隔をおき、定期的に刊行されるものであること」および「有償頒布が常態であること」は必ずしも「新聞紙」と認められるための絶対不可欠な要件ではないとしても、これが備わつているか否かは「新聞紙」といえるか否かの判断につきかなりの影響を与えるといえよう。しかも、前掲各証拠によれば、「函館新聞」は、被告人小野寺が自分の小遣銭をかせぐためと、合わせて長年の新聞記者生活への愛着というようなものを満足させるために時々発行しているものであること、「函館新聞」は、ほとんどの場合に公職の選挙を目前とした時期に発行され、特定の個人に関する特別な記事を大きく取り扱つていること、被告人小野寺は、判示のように、被告人竹野から「函館新聞」に佐藤孝行候補のためにいわゆる提灯記事を記載して欲しい旨の依頼を受けるや、一度は断つたものの、被告人竹野の立場を考えてこれを承諾し、現金の供与を受けたこと、被告人小野寺は、佐藤孝行の特集号(第四、〇一〇号)を出した後で、自民党の他の候補者側から不公平であるとの苦情をいわれるや、これらの候補者達をも称賛する新聞(第四、〇一二号)を出していること、「函館新聞」の配付を受ける広告主は、同紙を他のいわゆる「豆新聞」と同一視しており、自分のところの広告が掲載されていることを確認するのみで、その記事の内容にはほとんど関心を示していないことが認められ、右認定事実によれば、「函館新聞」は、被告人小野寺自身当公判廷において公正中立な立場で報道および評論をしていると供述しているにも拘らず、必ずしも公正中立な報道および評論を内容とするものであるとはいい難いし、社会一般に対する影響力もさほど大きなものであるとはいい難いのである。

以上のような諸点を総合して判断すると、「函館新聞」が前記(1)、(3)および(4)の各要件を満していることならびに同紙の体裁を考慮に入れても、同紙は第一四八条に定める自由を保障され、かつ第一四八条の二、第二二三条の二に定める厳しい責任を負わされるにふさわしい社会の公器としての実体を備えているとまでは認め難いから、「新聞紙」に該当しないといわざるを得ない。

(二) 新聞紙、雑誌の不法利用の罪(第一四八条の二第一項、第二項、第二二三条の二第一項)は、供与罪(第二二一条第一項第一号)および受供与罪(同項第四号)の刑罰加重規定として設けられたものであり、供与、受供与等に新聞紙または雑誌に選挙に関する報道および評論を掲載しまたは掲載させることが要件として加わつたものにすぎず、新聞紙、雑誌の不法利用の罪が成立すると通常の供与、受供与罪等はこれに吸収される関係にあると解されるので、両者の間には公訴事実の同一性があり、また、後者の事実を認定することは、前者の事実を認定するよりもいわば縮少された事実を認定することになるところ、本件においては、訴因たる前者の事実は、前記のように函館新聞が新聞紙といい難いために、その全部を認定できないけれども、当公判廷において取り調べられた各証拠によつて、判示のとおり後者の事実が充分認定できるのみならず、被告人両名とも、判示の佐藤孝行候補のために有利な記事を掲載して「函館新聞」を発行するということに合意していたことおよび右記事掲載の報酬として現金を授受したことについては争いがないのであるから、判示のとおり訴因と異なる事実を認定をしたからといつて、被告人両名の防禦権の行使に格別不利益を及ぼすものではないと解されるので、あえて訴因変更の手続きをとる必要がないのである。

(法令の適用)

被告人竹野の判示第一の所為のうち買収の点は公職選挙法第二二一条第一項第一号に、事前運動の点は同法第一二九条、第二三九条第一号に、被告人小野寺の判示第二の所為は同法第二二一条第一項第四号にそれぞれ該当するところ、右被告人竹野の買収の罪と事前運動の罪とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により一罪として重い買収の罪の刑で処断することとし、被告人両名につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人竹野を懲役五月に、被告人小野寺を懲役三月に各処し、情状により、被告人両名に対し、同法第二五条第一項第一号を適用して、この裁判確定の日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予し、被告人小野寺が判示第二の犯行により受供与した現金一〇万円はその全部を没収することができないから、公職選挙法第二二四条により被告人小野寺からその価額金一〇万円を追徴することとする。

よつて、主文のとおり判決する。

別紙第一 被告人竹野俊弥に対する公訴事実

被告人は昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員総選挙に際し、北海道第三区より立候補した佐藤孝行の選挙運動者であるが、同候補者に当選を得しめる目的をもって立候補届出前である同年八月一〇日ころ、函館市松風町一番一四号小野寺脩郎方において、同人に対し、同人が編集発行している旬刊新聞「函館新聞」紙上に右候補者のため有利な報道および評論を掲載されたい旨依頼し、その報酬として、同年八月一五日ころ同市大手町五番一〇号日魯ビル四階佐藤孝行事務所において現金五万円を、同月二八日ころ、前記小野寺方において現金五万円をそれぞれ供与しよって同人をして同年九月一日付函館新聞第四〇一〇号紙上に「佐藤孝行特集」と題し同候補者の写真および衆議院議員としての業績などを紹介し、同候補者の議政壇上における活躍が期待される旨選挙に関する報道および評論を掲載させ、もって立候補届出前の選挙運動をしたものである。

別紙第二 被告人小野寺脩郎に対する公訴事実

被告人は旬刊新聞「函館新聞」を編集発行しているものであるが、昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員総選挙に際し、同年八月一〇日ころ函館市松風町一番一四号自宅において、北海道第三区から立候補した佐藤孝行の選挙運動者である竹野俊弥から同候補者に当選を得しめる目的のもとに右新聞紙上に同候補者のため有利な報道および評論を掲載されたい旨依頼をうけ、その報酬として供与されるものであることを知りながら、同年八月一五日ころ同市大手町五番一〇号日魯ビル四階佐藤孝行事務所において現金五万円を、同月二八日ころ前記自宅において現金五万円をそれぞれ受け取り、よって同年九月一日付「函館新聞」第四〇一〇号紙上に「佐藤孝行特集」と題し同候補者の写真および衆議院議員としての業績などを紹介し、同候補の議政壇上における活躍が期待される旨選挙に関する報道および評論を掲載したものである。

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